【ついイライラする人へ】新しい習慣を増やさず心を調える禅僧の教え
投稿日:2026/05/27
更新日:2026/05/27
仕事に家事に追われて、些細なことについイライラしてしまう…。
余裕を取り戻したくても、心を調える時間なんてどこにもない。そんなふうに感じていませんか?
実はその心のざわつきは、新しい習慣を増やさなくても整えられるかもしれません。
今回お話を伺ったのは、坐禅や「食べる禅」のワークショップで多くの人に禅を伝えてきた、富山市・最勝寺の住職、谷内良徹さん。
心を調えるヒントから、忙しい毎日でも続けられる「日常がそのまま禅になる」作法まで教えていただきました。
目次

谷内さん:このあと紹介する、日常でできる禅も、根っこにあるのは坐禅で養う姿勢と呼吸。
坐禅は、すべての土台なんです。
というわけで、まずは坐禅を体験させてもらうことになりました。
靴を脱ぎ、裸足になってお堂へ。教わったとおりに坐ってみます。
1.クッションに坐骨を乗せ、骨盤を立てる

2.足は無理に組まず、軽く前後に置くだけ

3.肩を一度ぐっと持ち上げ、ストンと落とし軽く脱力する

4.手のひらを上に向け、左右の手を軽く重ねて、親指をそっと触れ合わせる

5.目は閉じず、半分だけ開ける「半眼(はんがん)」に
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6.呼吸は鼻から、ゆっくりと

谷内さん:それから、坐っていると、いろんな思いが浮かんできます。
でも、追いかけない、払わない、無理に消そうともしない。
浮かんだら浮かんだまま、そっと姿勢と呼吸に戻ればいいんです。
言われるまま半眼で、鼻からゆっくりと呼吸を続けるうちに、頭のなかがだんだん静かになってくる。
考え事は浮かんでくるけれど、追いかけずにいると、水の中で気泡がゆっくり昇っていくのを眺めるみたいに、一歩引いて見られたんです。
ずっとオンになっていた頭が、ちょっと休まった気がしました。
そういえば、半眼だからか眠気に襲われることもまったくありませんでしたね。
坐禅を終えた谷内さんに、あらためて尋ねてみました。
実際に禅を体験してみて、確かに肩の荷が少し降りたような感覚になりました。しかし、それが日々のイライラと、どうつながるのでしょうか?
谷内さん:禅をすると、イライラしている自分に「気づける」ようになります。
怒りそのものをなくすのではなく、振り回されにくくなるんです。
なぜそうなるのか。谷内さんの話から、私たちが余裕をなくしイライラしてしまう原因と、禅がそこにどう効くのかが見えてきました。
谷内さんが挙げてくれた、現代の暮らしが知らないうちに心をすり減らしている原因は、大きく3つでした。

谷内さん:スマホを見ながら食事をして、考え事をしながら歩くなど、私たちは複数のことを同時にこなしているつもりでいます。
ですが、本を2冊同時に読むことはできませんよね。
実際は、同時にやっているようでいて、素早く切り替えているだけ。パソコンでいくつもの画面を開きっぱなしにしているような状態です。
開いたままの画面を、私たちはなかなか閉じられず、頭のなかが常に何かで埋まり、休む間がない。
これが、心がすり減っていく1つ目の原因です。

谷内さん:うまくいかないことがあったとき、あの人のせいだ、世の中が悪い、とつい原因を外に探してしまいがちです。
けれど、嫌な人がいるのではなく、それを嫌だと思っている自分がいる。
ひどい世の中があるのではなく、ひどい世の中だと感じている自分がいる。
原因は外にあるように見えても、それはきっかけにすぎないんです。
変えられない外の世界に苛立ち続けても、消耗するばかり。
怒りやモヤモヤの矛先が常に外を向いていることが、2つ目の原因です。

谷内さん:早く終わらせたい、早く結果を出したい。
現代人の多くは、効率を求める毎日のなかで、目の前の時間そのものをないがしろにしがちです。
受験に合格するためだけの勉強や、1位になるためだけの練習だと、それが叶わなかった途端、その時間自体に価値がなくなってしまう。
できていた過去と、できていない今、できている未来。そうやって頭のなかで比べるほどに、目の前の「今」を否定することにもなってしまいストレスやイライラの原因になってしまいます。
いつでも今ここが本番だと思えれば、今の自分も周りも認めていけるんです。
結果ばかりを見て、過程のすべてを「手段」にしてしまう。
頭の中で時間を「点」で考えて比べてしまい、今この瞬間を味わえないことが、3つ目の原因です。
では、こうした原因に禅はどう向き合うのか。
谷内さんが大切にしているのは、シンプルな2つの考え方でした。

谷内さん:坐禅のときの、手のひらを上にして重ねる形には、「握りしめていたものを手放して、入ってくるものを受け入れる」という意味があるんです。
普段、私たちは知らないうちに、エゴや「もっともっと」という欲など、いろんなものをギュッと掴んで力を入れています。
実はそうしたものが、目の前のことを素直に受け取れなくしている原因。
だからこそ、その手をいったんひらくと、心の力みも少しずつほどけていくんです。
この「手をひらく」という感覚は、日々のイライラとの付き合い方にもそのまま効いてきます。
腹を立てているとき、その怒りを無理に抑えこむ必要はありません。
大事なのは、「ああ、自分はいま腹を立てているな」という感情に気づくこと。
そうやって気づけた瞬間、強く握りしめていた「怒り」から、すっと一歩離れられるんです。
嫌な相手や状況そのものはすぐには変えられないけれど、それに反応してイライラしている自分に気づけたなら、怒りは怒りは自ずと鎮まっていきます。

谷内さん:もう一つ大切にしているのは、立派な心構えよりも先に、まず「行為」があるという考え方です。
例えば、「坐る」「歩く」「食べる」という行為が先にあって、後から説明するために名前をつけているだけ。
したがって、心を調えるためにお寺に行くなど、特別な時間や場所にこだわる必要はありません。
どう坐るか、どう歩くか、どう食べるか。今すでにしている日常の行為に、意識を向ける事が大事です。
つまり、特別な修行をしなくても、いつもの暮らしの中に禅はいつでもあるということ。
お寺では、坐禅も日々の食事も、同じくらい大事な行為として向き合います。
とはいえ、誰もが日常的にお寺へ来られるわけではないので、そうしたお寺の修行を少し切り取って、皆さんの日常向けにアレンジしてお伝えしているんです。
禅と聞くと難しい印象があるかもしれませんが、身構える必要はありません。
谷内さんが教えてくれたのは、歩行や飲食を禅にするという、日常の中でおこなえるものでした。

■歩き禅のやり方
・スマホも考え事も、いったん脇に置く
・足の裏が地面に触れる感覚に意識を向ける
・「どこかへ急ぐ」より、一歩そのものを味わう

谷内さん:毎日の通勤も、丁寧に歩くだけで立派な「歩き禅」になります。
大切なのは、その一歩のなかで「感覚」に意識を向けること。
坐禅と同じく、浮かんでくる考えを追いかけず、感覚にそっと意識を戻す。坐ってやっていたことを、歩きでやっているだけなのです。
歩行は無意識にできてしまう動作だからこそ、かえってその感覚を見落としやすい。
人間は、考え事をしながらでも歩けてしまうからこそ、足の感覚に意識を向けてみる。
頭のなかで開きっぱなしだった画面が、スッとひとつずつ閉じていくような手応えがあれば、それで充分です。
正式な歩き禅とは?

谷内さん:お寺で行う正式な歩き禅は「経行(きんひん)」と呼ばれ、もっとゆっくりとした歩みになります。
一呼吸ごとに足を半歩ずつ、じっくりと進んでいく。
これは「どこかへ行く」という目的を達成するために歩くのではなく、純粋に、歩きそのものを目的としておこないます。

■食べる禅のやり方
・音楽や歓談、スマホなども止めて、食べることだけに向き合う
・「好き」「嫌い」と動く自分の心に、ただ気づく
ここでも土台は坐禅と同じです。
背すじを伸ばして姿勢を整え、ひと口ごとに呼吸を意識する。
ながらをやめて、心の動きに気づくこと。
ただの昼食が「食べる禅」に変わっていきます。

谷内さん:黙って一人で食事をしていても、頭のなかで考え事をしていれば、それは立派な「ながら食べ」です。
無意識に食事しているときほど、過ぎ去ったことやこれからのことに心が捉われやすいもの。
だからこそ、まずは「ただ食べること」だけに専念してみてください。
好きなものは「もっと」と求め、嫌いなものは遠ざけたくなる。
そんな自分の心の動きに、ただ気づくのです。「ああ、自分はいま好き嫌いをしているな」と。
ここで面白いのは、「それを直しなさい」とは言っていないことです。上手に食べようとしなくていいし、最初から最後まで調った心で食べきる必要もありません。
ただ、「いま、自分の心はこう動いているな」と気づくこと。
それができたなら、その一食はもう立派な「食べる禅」と言えるでしょう。

食べる禅と同じことは、一杯のお茶やコーヒーでもできます。
スマホを置いて、ほかのことをせず、ただ一口ずつ味わう。
「いま、温かいな」「少し苦いな」と、口のなかで起きていることに気づくだけ。
一日の終わりの一杯を、心を切り替える小さな区切りにしてみてください。
正式な食べる禅とは?

谷内さん:お寺で行う正式な食べる禅は「行鉢(ぎょうはつ)」と呼ばれ、専用の器を使い、お唱えをしてからいただきます。
食べる前には、ご飯粒をほんの少し取り分けて、鳥や虫のために施す。自分だけが満たされる食事ではなく、皆共に満たされたいという心の現れです。
器は持ち上げ、坐禅と同じ姿勢で、一口ずつ味わうなど、一つひとつの所作に、ほかの命とのつながりや感謝が込められているんです。
最後に、禅を始めるときに多くの人が抱く疑問を、谷内さんに尋ねました。
A.失敗ではありません。
谷内さん:思い浮かぶこと自体は、生きているのですから当たり前です。
浮かんできた思いを、追いかけない、払わない、無理に消そうともしない。
浮かんだら浮かんだまま、そっと今やっていることの感覚に気づけばいいんです。
A.時間にこだわる必要はありません。
谷内さん:禅道場では、40分ほど坐って10分ほど歩く、というのを一区切りにしています。
ただ、大切なのは長さではなく、今ここにちゃんといる時間です。
歩くにしても食べるにしても、短い間でも意識を向けられれば、それでよいかと。
今回の取材を通して、いま広く知られているマインドフルネスも、源流をたどればこうした禅の実践と深く繋がっているのだと感じました。
余裕をなくし、ついイライラしてしまうとき。その苛立ちをどうにか抑えこもうとしても、なかなかうまくいかないものです。
大切なのは、いま自分がどう感じているかに、ただ気づくこと。
自分の感情に気づけるようになると、人と比べたり、できない自分を責めたりすることから、少しずつ離れていけます。
比べることをやめられたら、苛立ちの種そのものが減っていく。
通勤の一歩に、昼食の一口に、ほんの少しだけ感覚を向けてみる。それだけで、慌ただしい毎日のなかに「今ここ」の自分を取り戻せるのかもしれません。
今日という一日のどこか一場面から、あなたも日常の禅を味わってみませんか。

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